私はいつでも受け身だった。
どうも、おハナマルです。
以前、このような記事を書きました。
私は、親から物理的に離れるため、『引っ越し』という決断をしたわけですが、どのようにここまで気持ちを変えていけたのか、今回はそれを書いていこうと思います。
目次
1、それまでの親子関係
私は幼い頃から家族が大好きで、休みの日も友達と遊ぶより、家族と一緒にいることが多かった。
反抗期になりやすい中学時代ですら、妹が荒れてたこともあって、私はいろいろ思うところはあっても、「ここで私がグレると、家族が崩壊する」という危機感が働いて、思いを吐き出せずにいた。
その後、家族に平和が訪れ、結婚・出産をしていくが、夫と選んだ部屋は実家の近所。
一時は、実家に転がり込んでいたときもあった。
夫が夜遅くまで帰ってこられないこと
初めての育児でいっぱいいっぱいだったこと
そんなことが重なって、私は実家に依存し続けていた。
2、「7つの習慣」との出会い
もともと家族が大好きだったのと、新たな家族を上手に受け入れられていなかったのが原因で、だらだらと実家への依存が続いてしまっていた。
そんなとき、私は「7つの習慣」に出会った。
衝撃的だった。
今まで抱えていた全てが、否定されることもなく、けれども、新しい道を示されたような、驚くべき発見の連続だった。
まるで刑務所から出てきたみたいです。全世界に叫びたいくらいです。
私は自由だ、牢獄から開放された、これからは他人に自分の気持ちを左右されることはないのだと
(完訳7つの習慣 人格主義の回復より)
その頃、次男が生まれ、長男はイヤイヤ期どまんなか。実家の親からの、育児に関する注意(本当はアドバイスだったと思う)に傷つくことが多くなっていた私は、
「ここから離れるのもアリなんだ!」
と気づかされ、少しずつ行動を起こしていった。
これに気がつくまでの私は、
『なんで親はこんなこと言うんだろう』
『そんなこと言うなら手伝ってよ!』
と思っているだけで、何も行動してこなかった。
この思いすら、【人を変えたい】という思いなので、意味のないものだということに気がついてもいなかった。
刺激と反応の間にあるスペースに立ち止まり、自分を取り巻くさまざまな刺激を見つめ始めた。
そうするうちに、自分の反応は自分で選べるという自由の感覚が私の内面を満たした。
(完訳7つの習慣 人格主義の回復より)
まず、自分の人生を歩み出すために、物理的な距離をとることにした。すぐ影響を受けてしまう近さ、ともすれば頼りたくなってしまう距離に危機感を抱いたからだ。
引っ越しを決める際、中古物件を買うことにしたのだが、購入が完全に決まるまで、私は実家の親に何も言わなかった。
反対されるのが嫌だったから。
まだ、心理的に離れる途中段階にいる私にとって、親からの反対は、振り切れる自信がなかったのだ。
3、依存心とのお別れ
長男の進学前、年長に上がる年に引っ越しをした。物理的に距離をとったことで、自然と『自立しなくては』という気持ちが起こり、親への依存心もなくなっていった。
それまで受け身でいることの多かった気持ちにも変化が現れ、『頼まれると断れない』性格だったのが、きちんと優先順位を考え、断る必要があるなら『断る』ということができるようになっていた。
<まとめ>
主体性とは、自発的に率先して行動することだけを意味するのではない。
人間として、自分の人生の責任を引き受けることも意味する。
(完訳7つの習慣 人格主義の回復より)
親というものは、生れたときから一緒にいて、何の疑いも持たない存在となりやすいものです。ですが、自分が親になって更に強く思いますが、『親だって完璧なわけではない』のです。
自分が感じた違和感
それは、これから『自分の人生』を生きていくために目を背けてはいけない問題で、その違和感に対してどう行動していくのか、というのが【主体的に動く】ということなのかな、と思います。
これから先、私の子供たちも、私や夫、家族に対して違和感を感じることがあるかもしれない。
そうなった時に、心の底から
「あなたの人生はあなたのものよ。自由に生きなさい」
と背中を押すことができるようになりたい。
【自由に生きられる】【主体的に動ける】人間に育てていけるように、しっかりと子供たちに向き合っていこうと思います。
では。
完訳7つの習慣 人格主義の回復 [ スティーヴン・R.コヴィー ]