おハナマルのつぶやき日記

スポーツブログ100記事更新チャレンジ中/残り87記事

親との距離感

仲が良くても、程よい距離感が大切。

f:id:ohanamaru25:20180107015204j:plain

(写真はイメージです)

 

どうも、おハナマルです。

 

最近、『毒親』についてのTwitterやブログを読んで、私と親との関係について感じたことをまとめてみました。

 

 

目次

1、「私の家族は仲が良い」という思いは…

2、『物理的な距離』と『心理的な距離』

3、みんな違って、みんないい

 

 

 

1、「私の家族は仲が良い」という思いは…

私の家族(実家)は仲が良い。

そう遠くないので、ちょくちょく泊まりにいくし、会えば会話は止まらない。

 

思い返せば、私には親に対する『反抗期』がなかった。

なぜなら、妹が荒れてたから。

 

 

ここで私がグレたら、家族が崩壊する

 

 

変にブレーキがかかっていた。

おかげで、精神的に親から自立し損なった。

 

 

それから5年くらいたち、私は結婚した。

まだ、親との関係は依存的。

私が距離感を測れていなかった。

 

その頃には妹も落ち着いていて、今と変わらない『仲良し家族』になっていた。

 

 

だけど、その思いが逆に自分を苦しめてもいた。

 

 

言葉にするのは難しいのだけど、『ベッタリ仲良しの楽しい実家』と、『育児などで意見が噛み合わない実家』との板挟み。

妙な罪悪感と違和感。

 

 

 

「このままではダメだ」

直感でそう思っていた。

 

 

 

 

2、『物理的な距離』と『心理的な距離』

長男の進学を前に、それまで実家から歩ける距離に住んでいた私たちは、車で4、50分かかる距離へ引越しをした。

 

親に反対されるのは嫌だから、家を買ってからの報告。

驚かれたし、きっと寂しかったには違いない。だけど、この決断は正しかったと思う。

 

 

私の中では、物理的に距離を取ったことで、逆に依存とは離れ、心理的には距離を良い位置に持っていくことができた。

 

 

 

※この決断には、たびたびお話している『 7つの習慣』によるものが大きい。『主体的である』というものだ。

 

私たちは自分の身に起こったことで傷つくのではない。

その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。

 

(完訳7つの習慣 人格主義の回復より)

 

※詳しくはこちら↓

 

 

 

 

3、みんな違って、みんないい

私の家族は仲が良い。

それは幸せなことだ。

 

だけど、近ければ良いというものではないことを学んだ。

 

 

近すぎた頃、初めての育児をしながら、親のちょっとした言葉に傷ついていた。 

手を貸してくれないことへの苛立ちもあった。

 

 

今はほどよい距離感。

 

 

育児に関して口を出されても、毎日言われるわけではないし、「ふぅん、そういう意見もあるか」と素直に聞ける。

手は貸してもらえないのが当たり前な距離なので、それも気にならない。

 

 

 

私の親が『毒親』かどうかなんてわからないが、これが私たちのベストな距離だ、と私は勝手に思ってる。

孫に関してもある程度ドライな親だから、会いに行くのも今の頻度でちょうど良いだろう。

 

 

 

 

毒親』とか『自分が悪い』は置いておいて、きっと、みんなそれぞれ家族との距離は違って、みんなそれぞれ、それでいいのだと思う。

 

では。 

 

 

 

読ませていただいたブログ↓

blog.shinoegg.com

 

www.nakanomaruko.com