それは『うつ』っぽくなって、辞めた仕事・・・。
どうも、元花屋バイトのおハナマルです。
前に「花屋のバイトをしていた」というお話をちらっとしたことがありますが、
お花屋さんのお仕事について、お話していこうかなと思います。
最初にしていた花屋のバイトは、いわゆる『街のお花屋さん』。
とても、楽しかったですね。
店頭に飾るアレンジメントやミニブーケを作ったり、お仏花を作ったり、
もちろん水揚げという、市場から持ってきたお花を元気に戻す水作業なんかもあったけど、大変なりにとても楽しんでやっていました。
その頃、まだ若かった私は、車の免許を持っていませんでした。
花屋の仕事を続けるためにも免許が欲しかったので、毎日頑張って働いていました。
でも、小さな花屋だったのでバイト料も安く、免許を取るための資金がなかなか貯まりません。
しかたなく「続けたい」と思いながらも、免許を取ることを優先するため、その花屋を一度やめて、バイト料の高い飲食店で働いたりもしました。
その後、免許を無事取ることができ、またどこかでお花屋さんの仕事をしようと探し始めたんです。
私は、そのときも「街のお花屋さん」で働くつもりでした。
ところが
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なぜか私は、「葬儀のお花屋さん」に就職してしまいました。
面接を受けるときまでは、「街のお花屋さん」だったんです。
でも、面接担当者さんと話をしていると、葬儀部門の人手が足りないから、そちらで働いてくれないかと。
今の私だったら、絶対にOKしないでしょう。
でも、まだ未熟だった私は、心では「えー嫌だなぁ」と思いながらも、
話に流されて、OKしてしまったんです。
結局、葬儀部門にいられたのは、半年くらいでしたかね。
力仕事だっていうのもあるんですが、そもそも感情移入しやすい私の性格に、
お葬式やお通夜に頻繁に出るというお仕事は絶対的に向いていませんでした。
頭では、その人の最期をしっかりと送ってあげられる素晴らしいお仕事だと考えることはできても、毎回、お葬式に出るたびに暗い気持ちになってしまって・・・。
そのうちに、『仕事場に行く』っていうことが頭にあるだけで、気持ち悪くなり、
胸が締めつけられるように苦しくなったりして、とうとう仕事に行けなくなりました。
退職の話をしようにも、会社に向かうことすらできないので、
仕方なく書面で、辞めることを伝えて、電話にすら出ることなくほぼ勝手に仕事を辞めてしまいました。
今思えば、社会人らしからぬ行為だし、責任感も何もあったものではないな、と理解できるのですが、あの頃は、心が病んでいたんでしょう。とにかく、会社から遠い存在になることしか考えられませんでした。
この時、学んだことはいくつかあります。
・自分の適性に合わないことは、流されずにしっかりと断ること。
・辞めるときは、きちんと話すこと。
・でも、辞めた決断は正しかったと思うので、自分の心に正直に生きることは間違いではない、ということ。
長い人生を生きていくうえで、お仕事は必要なものですが、まずは自分がどんな人間であるか、ということを自分でしっかりと理解しておくのが重要です。
まず、そこを見極めておかないと、この時の私のような失敗をしてしまいます。
あとは、辞めるとき。
このときの私は、人と話すのが怖かった。
人に、口頭で自分の思いを伝えるのが上手くできない方だったので、辞める理由を書いた手紙を会社に送りましたが、会社からきた電話には一切出ませんでした。出ることができなかったのかもしれません。
また、丸め込まれるんじゃないかっていうのが怖かった・・・。
言い訳のようになってしまいますが、それを恐れてしまうくらい、私はその仕事に戻りたくなかったんです。
このとき起こした行動は、もちろん褒められたものではないし、だからこその『私の黒歴史』なんだけど、『意地でも辞めた』っていうのは、自分を守るために正しかったと今でも思います。
あそこで、無理をして仕事を続けていたら、きっと今の私はいないでしょう。
病院に行ったわけでもないので、本当に「うつ」だったのかはわかりません。
でも、時には本気で逃げることも大切なのではないでしょうか。
会社を辞めた直後は無気力な状態で、どうやって立ち直ったのか記憶がいまいちありません。
それでも、今はこうして、3人の可愛い子供に囲まれ、優しい夫がいて、家族とともに幸せに暮らせるようにまで復活できているのですから、あのときの決断が正しくないわけがありません。
仕事は大事だけど、人生において『その会社での仕事が全て』であるはずがないので、苦しいことがあったら、どうしても受け入れがたいものがあるなら、
離れていくのもありではないでしょうか。
くれぐれも辞めるとき『しっかり話をする』 ことだけは忘れないように・・・。
では。
花屋の話をしたのは、この記事↓
『逃げるのも大事では?』という話↓